ここ鷲鷹曽我八幡宮(わしたか そがはちまんぐう)は、鷲鷹八幡宮ともいわれ、西暦1500年前後に建立されたと言われています。時代は異なりますが、 創建の由来として、鎌倉時代の「富士の巻狩り」の際、曽我の仇討で曽我兄弟が討たれるとそこに鷲鷹がやってきて兄弟の大事な臓腑をくわえて飛び去り、この場に葬られたと伝えられています。この地域は、一時期甲斐の武田氏が支配していた頃があり、武田家の家紋が神社のどこかに残されているそう。
北山の中井出にも曽我八幡宮がありますが、おそらくその辺りで曽我兄弟が討たれたのではないかと言われています。なお八幡宮は武士の神様、源氏の氏神とされています。曽我兄弟の話は、鎌倉時代からだんだん武将の間で広まっていき、江戸時代になると歌舞伎で曽我物語(曽我物)が有名になりました。「正月曽我」が江戸、「盆曽我」が大坂で上演されるぐらいに人気を博し、「赤穂浪士の討入り」「荒木又右衛門の鍵屋の辻」に並び、日本三大仇討の一つに数えられています。
秋堅りは伊勢神明宮と同じ日に行われ、ここは、猪之頭(上村以外)の地区の氏神となっています。